いつだってやめられる

何度目かのオタク人生。関ジャニ∞さんなどについて。

『象』皮肉のない褒め言葉

f:id:yoshida-ttkm10:20190216085548j:plain『象』

私が関ジャニ∞に興味を持つきっかけになった一つは、この曲である。

そもそも、私には関ジャニ∞という沼に足を引きずり込まれるような、そんな衝撃的な出会いは一切ない。
一歩一歩、自分でゆっくりと入水自殺のごとく踏み込んでいったのだ。

閑話休題
そのきっかけの一つとなる『象』とは、シンガーソングライター・高橋優が楽曲提供をした、関ジャニ∞のロックナンバーである。

幅広く邦楽に触れてみたいと思い立った日があった。
その日私は、星野源尾崎豊フジファブリックなど、様々な歌手のアルバムを1枚ずつ選んでいた。
レンタルショップの、「5枚で1,000円」という謳い文句に則り、4枚はすでに選んだものの、あと1枚を決めあぐねていたのだ。
そしてその1枚を探している中でたまたま通りかかったのが、『GR8EST発売記念・関ジャニ∞コーナー』である。

ジャニーズにハマることなんて一度もなかったからなぁ、と半分社会経験の気持ちで、さっそく彼らのアルバムを物色。
(何曲か知ってるのが入っているものにしとこう…)
そして、その日、私は『関ジャニズム』というアルバムを借りた。

さっそく帰宅して、音楽プレイヤーに曲を入れる。
そこからはとてもシンプルな歩みで、私はまんまと『象』という曲を好きになった。



それまでの関ジャニ∞に対するイメージは、『好きやねん、大阪』、『TAKOYAKI in my heart』などの大阪らしいコテコテソングか、『ズッコケ男道』、『なぐりガキBEAT』、『がむしゃら行進曲』など、キャッチーな応援ソング、というものであった。

しかし、この『象』は恥ずかし気の欠片もなく、清々しいまでに自信と希望に満ちた、キャッチーとは程遠い、見事なまでのロックな応援ソングだったのだ。

とりわけ私の心を掴んだのは、
「これからもどんどん君が素晴らしくなる」
という歌詞だ。
「素晴らしい」というワードを率直な意味として使うロックナンバーは、実はなかなか無い。
何故なら、人は人(個人)を「素晴らしい」と褒めないからだ。


ここで、「素晴らしい」の本当の意味を改めて考えたい。
大辞林によると、「素晴らしい」には三つの意味がある。
・この上なく優れている。際立って立派だ。極めて好ましい。

・程度が甚だしい。驚くほどだ。

・ひどく望ましくない。(近世江戸語)

ロックバンドやシンガーソングライターは、「素晴らしい」という言葉を用いる際、多くはこの三つ目の意味を皮肉、はたまた一つ目の意味の困難さを嘆いている場合が多い。


抜粋になってしまうが、「素晴らしい」というワードの入る楽曲の歌詞を、いくつか例として挙げたい。
(本人たちの伝えたい部分が抜け落ちている可能性があるため、なるべく歌詞全体にも目を通していただきたい)

『素晴らしきこの世界』忌野清志郎
飢えた子供の目つきは鋭く、偽善者と呼ばれて自殺する男たち
素晴らしきこの世界

『素晴らしい世界』SUPER BEAVER
素晴らしい世界だと澱みなく言えたら素晴らしい

『素晴らしい』竜清人
当然のように素晴らしいと軽々しく言わないで
言うたび素晴らしくないものが出来ちゃうよ

多くの人が歌ったように「素晴らしい」とは、「世界」などの壮大な対象と結びつき、さらにその実現の困難さが秘められているのだ。

それに対し、関ジャニ∞の『象』は、その歌詞の後に
「案外どんな場所にだって行けるよ」
と続けている。

「素晴らしい」という言葉を個人に対して使い、なおかつ更に背中を押すための具体例を挙げているのだ。
なかなかここまでまっすぐな歌詞に出会ったことのない私にとっては、衝撃的だった。

これは、高橋優が音楽と世界に向き合い、絶望と希望に出会い、関ジャニ∞と出会い、作り上げた、世界観の結晶なのだろうか。

そして、もう一つ、この『象』で私の心を掴んだもの、それはバンド演奏だ。
CDで音だけ聴いていた私は、激しいサウンドや高い技術性から
「本人たちはバンドもやっているらしいが、流石にこの曲は演奏しないだろう」
と失礼ながら、考えてしまっていた。
ところが、インターネットで検索してみると、本人たちが演奏する写真を発見。
「すごいな……」
まさに、その一言だった。
あまりにもどのような演奏をするのか気になり、さっそく某通販サイトで『KANJANI'S EIGHTERTAINMENT JAM』というコンサートのDVDを購入。
お目当ての『象』を選び、私は絶句してしまう。
炊き上がるスモークの奥から覗く鋭い目、激しい光の中で汗をかきながら叫ぶように歌うその姿は、あまりにも美しく、私は涙を堪えられなかった。
鼓膜の奥でゴポゴポと、沼に足を浸したような音が聞こえる。
そして、
「孤独はコンプレックスのせいじゃない」
と歌い上げる渋谷すばるの横で、あのCDのスラップを再現する、ベーシスト・丸山隆平の姿に、私は軽く殴られたような、そんな衝撃を受けた。

私が幼い頃に観ていたバラエティ番組に出演する彼は、ギャグを披露し、珍妙な動きと意見を述べる、所謂三枚目だった。
しかしそれは彼のほんの一面に過ぎず、そのすぐ隣にはこんな格好良い一面があったのだ。

その瞬間、私は完全に沼のコケに足を滑らせてしまい、頭の先まで沼に沈んでしまったのだと、その時実感した。






今回は『象』について、今まで思っていたこと、あのときの感動を徒然と書き殴りましたが、こうして、彼らの作品について、マイペースに書いていけたらいいなぁ、とカップ焼きそばを啜りながら考えております。

カップ焼きそばは、何がなんでも割り箸で食べたい。

誰にも共感されないのですが、みなさんは割り箸派ですか?どっちゃでもええ派ですか?


また。