なぜ丸山隆平という存在に惹かれるのか~アイドルという川のほとりにて~
今週のお題「アイドルをつづる」
私は今、人生初めての「ジャニオタ」という時間を過ごしている。
実は恥ずかしながら、学生時代ずっと全てにおいてとがり散らしてしまっていたため、親も友人も先輩も後輩も愛犬も、みんな驚いている。「どうしちゃったの」なんてよく言われていて。
どうしちゃったのかなあ、と思いながらも、ぼんやりと壁に貼られたポスターを眺めている。
読んでくださっている方はご存知かもしれませんが、私は関ジャニ∞、特にオレンジ色の太陽担当・丸山隆平さんのオタクです。
なので今回は、「なぜ丸山隆平という存在に惹かれるのか~アイドルという川のほとりにて~」という心の新書を刊行したいと思います。
「アイドル(英)」は日本語で「偶像」と訳され、以下の3つの意味がある。(大辞泉より)
①木・石・土・金属などで作った像。
②神仏をかたどった、信仰の対象となる像。
③憧れや崇拝の対象となるもの。
つまり、私たちオタクにとってのアイドルとは、③の意味に該当する。
ちなみに「崇拝」とは、「心から傾倒して、敬い尊ぶこと。」とされており、アイドルオタクにとっての「偶像崇拝」とは、「アイドルを尊敬し、感服し憧れること。」ということになる。
次に、「アイドル」の語源について考えたい。
「アイドル」の語源はラテン語「イドラ(idola)」とされている。
「イドラ」とは、「偶像」、「幻影」という意味がある。
それに加えて、人間の先入的謬見(偏見などから穿った、誤った見方をしてしまうこと)を帰納法を用いて説いたものともされている。
またイドラについて、フランシス・ベーコン(イギリスの哲学者)は、
「世の中には、人にとっての正しい思考を妨げる四つのイドラが存在する。」
と唱えている。
〈四つのイドラ〉
①種族のイドラ・・・人が生まれながらに持ってしまう、生理的な偏見・先入観。
②洞窟のイドラ・・・個人的な経験から発生し、自分の物差しで見る偏見・先入観。
③市場のイドラ・・・他人の言葉や噂に騙されたり惑わされたりして生じる偏見・先入観。
④劇場のイドラ・・・伝統や権威ある学説やイメージを絶対的なものだと信じ切ってしまうことから生じる偏見・先入観。
つまり私なりに解釈すると、アイドルとは「劇場のイドラ」によって発生する需要が存在する前提で成り立つ市場ということになる。
たしかにアイドルは男性、女性問わず【イメージ】を前提に存在している気がする。
それを守ろうとするアイドル。例を挙げるならAKB48の『まゆゆ』。
それを打ち砕こうとするアイドル。例えば、関ジャニ∞の『ヤス』。
まさに今、アイドルたちはそれぞれの【イメージ】を理解しながら、セルフプロデュースしていく時代に突入しているのだろうか。
守ることと、打ち壊していくこと。
アイドルが見せてくれるその、シンパイドラ(アイドルらしい部分)・アンチイドラ(アイドルらしからぬ部分)。
それが私たちを魅了してやまない最も大きな要因の一つなのかもしれない。
そして、イドラという源流は時代を経て、枝分かれし、様々なスタイルのアイドルたちという支流を生み出してきた。
ジャニーズも例外ではない。
少年隊や近藤真彦など、爽やかで笑顔がキラキラした少年・または青年が歌って踊るアイドルという姿から、SMAPや嵐など、バラエティでも活躍し、歌って踊るだけではない、魅力をアピールする機会が多くなっていく。
またTOKIOのように楽器を演奏するジャニーズも誕生し、まさにグループ、個々が各々【オリジナル】という船頭を担うようになった。
関ジャニ∞も、全員が関西人、ちょっと柄が悪く、ちょっと口も悪い、演歌でデビューする、まさに【オリジナル】の宝庫である。(オタクの贔屓目)
その中で、黄金の自担、太陽担当・丸山隆平さんの魅力とは何か。
思い返せば、彼はシンパイドラ、アンチイドラ、どちらも同じように内蔵し、どちらも彼らしい魅力として見せてくれる。
彼の、不器用ながらも天才的なセルフプロデュース力に圧倒的アイドル性を感じているからなのかもしれない。
そこで、私なりに、丸山さんのシンパイドラとアンチイドラについて、思いつく限り、書き出してみた。
【丸山さんのシンパイドラ】
・いつも笑顔。
・ファンサをたくさんしてくれる。
・『丸の大切な日』(※丸山さんが10年間毎日更新しているファン限定ブログ)を更新している。
しかも日記のことを「メール」と呼び、ファンを「君」と呼ぶ。
・食事シーンは全力で臨む。
・メンバーと仲良し。
・メンバーにオリジナルのあだ名をつけて呼ぶ。
しかも「ゆーちん」については、かつてのライブで「呼んでほしい」と言っていたことを 守っているのかもしれない…。
・イメージカラーのオレンジ色のものを好む。
・鮭好きキャラを貫こうとする。
・熱愛報道があまり出ない。
【丸山さんのアンチイドラ】
・『ありえへん∞世界』のワイプ
髭を抜こうとしたり、耳に指を入れたりする。
驚くシーンや感動するシーン、ほっこりするシーンが流れても無表情。
・家に人を呼び食事を振る舞うくせに「家で友達誘ってたこ焼きパーティとかしたくない」と発言。
・勢いのあるギャグに全力投球。
・の割に、言葉選びがシュールなボケもする。
・ホラー映画を好んで観る。
・車の運転ができない。
・パソコンが扱えない。
・エゴサーチをしてファンの声をチェックする。
・少しアイドル体型から逸れている。
・ポリネシアン(陰湿で執念深い)な部分がある(らしい)。
(ホンマでっか!?TVの借金メールより)
・私服がダサい(らしい)(世論)。
他にも細かく上げればキリがないほど、こういったエピソードなどがある。
つまり、丸山さんは「アイドルらしさ」と「らしくなさ」を大量に兼ね備えた、魅力的な【オリジナル】であるということなのだ。
人は誰しも人に見せる一面だけではないはずだ。私たちも例外ではない。
Twitterのアカウントの自分。
学校や職場での自分。
友達や恋人、家族の前での自分。
アイドルを見つめている自分。
きっと全て違う姿だろう。
それらは「見せたい自分」「見せなきゃいけない自分」「見せたくない自分」、いろいろあるはず。
しかし、一面だけではつまらない。
良い面だけでも、悪い面だけでも、きっとつまらない。たくさんの「面」があるほど面白い人になれる可能性が高まる。
きっと、それを上手くコントロールして、人は魅力的になっていくのだと思う。
アイドルとは、きっと顔が綺麗なだけでなく、スタイルがいいだけでも、歌やダンスが上手いだけでもないのかもしれない。
きっと、「自分」のコントロールと演じ方を常に考えている人たちにとっての天職が、アイドルなのだ。
彼らはこれからも私たちの【イメージ】という壁の前に立ち続けるだろう。
その壁に寄り添い、私たちの【イメージ】を裏切らない「自分」という一面を見せてくれる。
その一方で、その壁を殴り壊し、【イメージ】のその先の「自分」を自ら作り出してくれるかもしれない。
だから、アイドルはこんなにも魅力的なのだろう。
ファンとともに、変わりゆく部分。しかし、決して変わらない部分。
私たちはそれを眺めることのできる、素敵な時代に生まれてこれたのだ。
そんなことを、丸山さんのアイドル姿から学んだ気がしています。
今までもこれからも魅力的な彼らの背中を見つめながら、私たちは、もっともっと学んでいきたい。
さまざまな「自分」の見つけ方、少しだけも上手な生き方を。
ここまでブログを読んでくださったみんなも。
よかったら、自分の担当についての愛を、私に教えてください。
みんなの「好き」が聞きたいよ~!