いつだってやめられる

何度目かのオタク人生。関ジャニ∞さんなどについて。

推しがアイドルを辞めた話

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私は、でんぱ組.incという女性アイドルグループのファンだ。
もう5年以上、彼女たちを追いかけていた。

衣装が可愛くて格好良くて好き。
オタク女子で個々の趣味を語ってくれるから好き。
全力でぶりっ子するくせに全力でふざけてくれるところが好き。
アップテンポで奇天烈なメロディーラインに詰め込まれた賑やかな歌詞が好き。
アイドルなのに、私のような根暗オタクの絶望を知ってくれているから、本当に私達を励ましてくれているようで、大好きだった。



彼女たちの曲、『W.W.D』を聴きながら、何度も泣いた。
彼女たちの半生を歌詞にしたその中に「生きる場所なんてどこにもなかったんだ」という歌詞がある。
虐められて引きこもったり、友達が全くおらず、アニメやゲームにのめり込んでいったり、死にたいと絶望したり…ドン底を見た少女たちが、秋葉原の小さなハコから、ワールドツアーを行うまでに成長するのだ。
私達ファンは、そんな少女たちの夢を叶えていく姿を応援し、支えるためにいるのだと、本気で思っていた。

もちろんライブの曲の間などでメンバーの名前を叫んだりしたこともあるが、それは、自分の存在に気付いてほしかったわけではない。
「あなたの後ろで支えているから、これからもあなたを応援しているから、手放しで夢を見続けて。」
そう伝えたくて、私は彼女の名前を呼んでいた。



彼女、私の最推しは、夢眠ねむという女性。
でんぱ組の中で最も背が高く、絵も上手で、漫画とごはんとお酒と本が大好きな女の子だった。
誰よりも大きい体だけれど、いつも少しだけ震えた声で煽り叫ぶところが可愛くて、誰よりもアイドルに夢を持ち、夢を見ていた女の子でもあった。

彼女はあまりにも“アイドル”であろうとした。
そこが私は好きだった。
“アイドル”という概念を自分の中に構築しながら、自己への落とし込みを常に追求していた彼女は、ミントグリーン(※自身のメンバーカラー)の光の中でどんどん承認欲求を満たしていった。

嬉しそうに楽しそうに笑っていた彼女を見て、私は「あなたを推してよかった」と心の底から思っていた。


しかし、その一方で彼女は、アイドルであることに悩んでいた。

アイドルになる前の彼女は、(漫画家や芸術家という)夢に挫折し、その絶望や苦悩、怒りなどを原動力に芸術活動に取り組んでいた。
“アイドル”も、彼女にとってはその表現方法の一つであった。

なのに、その“アイドル”である自分は、大勢の人から愛され、自分の原動力でもあった絶望や寂しさからどんどん遠ざけられてしまったのだ。
“芸術家”という自分の中の一つであったはずの“アイドル”という側面に飲み込まれてしまいそうになったのだという。





「卒業」という言葉は残酷だ。

私達ファンの手から離れて(元々手に触れていなかったのかもしれないけど)旅立ち、戻ってくることはない。

しかしこの卒業は、きっとねむきゅんの人生にとって大きな節目になるのだ。
泣いて引き留めて、彼女に「ファンを置き去りにしてしまった」と後悔されたとき、私達ファンはどれだけ格好悪いのだろう。

格好良い彼女を応援する自分が好きだった。
グッズを買い、メンバーカラーの光を浴びせることで彼女を支えていることが物凄く格好良いことだと思えた。
彼女がステージから見る景色は、最後まで格好良くてキラキラしたものにしてあげたい。
それが私達のねむきゅんに対する餞の行為だった。



プロデュース業や映像監督としても頑張っていたねむきゅん。
「本に携わる仕事がしたい」と語るねむきゅん。
そんな、不器用なのにマルチに力を発揮して、才能を見せつける彼女を、一人の人間として好きだった。


夢眠ねむという一人の女性が、“アイドル”を辞めるとき。
あまりにも寂しくて泣いたりもしたけど、今でも彼女が歌って踊る姿を願ったりもしたけど。

「卒業」という文字は、その中で必要な過程をすべて完了し終えなければ迎えられないものなので、きっとねむきゅんは、“アイドル”を“修了”したのだ。

新たなステージに行くためには、必要なイニシエーションなのだ。

そう言い聞かせているうちに、いつしか彼女の幸せを純粋に願えるようになった。



この世界の中で、夢眠ねむは今日も生きている。
もうミントグリーンのペンライトは振らない。
今までありがとう。
これからは、新たな人生を歩み始めた新しい夢眠ねむを応援していこうと思います。


彼女は今、東京のどこかで本屋の店主をしているらしい。
もっと応援したかったな。
もっと名前を呼べばよかったな。
そんな後悔はきっとずっと残るだろう。

しかし、“ねむきゅん”がいなくなり、永遠のアイドルという存在は幻想だと思うようにしていた私の前には今、「ファンがいる限り辞めない」と豪語する、とんでもないアイドルが立っている。

最近、彼のその言葉を噛み締めながら、思う。
彼が自分自身の他の側面を伸ばしたく、“アイドル”を“卒業”する日が来たとき、私は彼のいないグループを愛していけるだろうか。グループを抜けた彼をまっすぐに愛せるだろうか。
数日間考えながら、今このブログを書いている。



私は今、夢眠書店の店主のことが好きだ。
優しいけど優しいだけではない本のラインナップや、コンセプトの確立されたスタイル。
彼女の優しさと格好良さが本屋に染み渡っていると思った。


そして、でんぱ組.incのことも大好きだ。
今は箱推しとして、時々イベントに行ったりする程度のファンになってしまったが、今でもでんぱ組.incの曲が大好き。

新曲『形而上学的、魔法』の最後には、こんな歌詞がある。


「どんなに形が変わってもひとりきりになっても、わたしがわたしのために見つけたいの。生かして私でいたかった、ずっと。」


どんなに形が変わっても、彼女は彼女、彼は彼、グループはグループ。
私達の見方だけが変わっていくだけなのだ。

まっすぐに愛することは、その人たち自身の本質が変わっていないことを理解することなのかもしれない。



と、そんなことを書きつつ、私もまだ口先だけになっているような気がしなくもない。

正直まだ少し立ち直れていない部分がある。
思い出すたびに泣いてしまう。

でも、いつかちゃんと胸を張って「彼女のことも、グループのこともそれぞれをまっすぐ見れるよ!」と言えるようになる日を来させようと思っている。

いろんなものを見て、いろんなことを考えて、人として成長して、オタクとしてこれからも生きていこう。



関ジャニ∞ファンの方が見てくださっている割合が多い中、長々と違うアイドルの話をしてしまい、すみません。

いつか関ジャニ∞でんぱ組.incと関ジャムでセッションしてくれる未来が来ることを願って。



拙文失礼しました。
また。