いつだってやめられる

何度目かのオタク人生。関ジャニ∞さんなどについて。

推しがアイドルを辞めた話

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私は、でんぱ組.incという女性アイドルグループのファンだ。
もう5年以上、彼女たちを追いかけていた。

衣装が可愛くて格好良くて好き。
オタク女子で個々の趣味を語ってくれるから好き。
全力でぶりっ子するくせに全力でふざけてくれるところが好き。
アップテンポで奇天烈なメロディーラインに詰め込まれた賑やかな歌詞が好き。
アイドルなのに、私のような根暗オタクの絶望を知ってくれているから、本当に私達を励ましてくれているようで、大好きだった。



彼女たちの曲、『W.W.D』を聴きながら、何度も泣いた。
彼女たちの半生を歌詞にしたその中に「生きる場所なんてどこにもなかったんだ」という歌詞がある。
虐められて引きこもったり、友達が全くおらず、アニメやゲームにのめり込んでいったり、死にたいと絶望したり…ドン底を見た少女たちが、秋葉原の小さなハコから、ワールドツアーを行うまでに成長するのだ。
私達ファンは、そんな少女たちの夢を叶えていく姿を応援し、支えるためにいるのだと、本気で思っていた。

もちろんライブの曲の間などでメンバーの名前を叫んだりしたこともあるが、それは、自分の存在に気付いてほしかったわけではない。
「あなたの後ろで支えているから、これからもあなたを応援しているから、手放しで夢を見続けて。」
そう伝えたくて、私は彼女の名前を呼んでいた。



彼女、私の最推しは、夢眠ねむという女性。
でんぱ組の中で最も背が高く、絵も上手で、漫画とごはんとお酒と本が大好きな女の子だった。
誰よりも大きい体だけれど、いつも少しだけ震えた声で煽り叫ぶところが可愛くて、誰よりもアイドルに夢を持ち、夢を見ていた女の子でもあった。

彼女はあまりにも“アイドル”であろうとした。
そこが私は好きだった。
“アイドル”という概念を自分の中に構築しながら、自己への落とし込みを常に追求していた彼女は、ミントグリーン(※自身のメンバーカラー)の光の中でどんどん承認欲求を満たしていった。

嬉しそうに楽しそうに笑っていた彼女を見て、私は「あなたを推してよかった」と心の底から思っていた。


しかし、その一方で彼女は、アイドルであることに悩んでいた。

アイドルになる前の彼女は、(漫画家や芸術家という)夢に挫折し、その絶望や苦悩、怒りなどを原動力に芸術活動に取り組んでいた。
“アイドル”も、彼女にとってはその表現方法の一つであった。

なのに、その“アイドル”である自分は、大勢の人から愛され、自分の原動力でもあった絶望や寂しさからどんどん遠ざけられてしまったのだ。
“芸術家”という自分の中の一つであったはずの“アイドル”という側面に飲み込まれてしまいそうになったのだという。





「卒業」という言葉は残酷だ。

私達ファンの手から離れて(元々手に触れていなかったのかもしれないけど)旅立ち、戻ってくることはない。

しかしこの卒業は、きっとねむきゅんの人生にとって大きな節目になるのだ。
泣いて引き留めて、彼女に「ファンを置き去りにしてしまった」と後悔されたとき、私達ファンはどれだけ格好悪いのだろう。

格好良い彼女を応援する自分が好きだった。
グッズを買い、メンバーカラーの光を浴びせることで彼女を支えていることが物凄く格好良いことだと思えた。
彼女がステージから見る景色は、最後まで格好良くてキラキラしたものにしてあげたい。
それが私達のねむきゅんに対する餞の行為だった。



プロデュース業や映像監督としても頑張っていたねむきゅん。
「本に携わる仕事がしたい」と語るねむきゅん。
そんな、不器用なのにマルチに力を発揮して、才能を見せつける彼女を、一人の人間として好きだった。


夢眠ねむという一人の女性が、“アイドル”を辞めるとき。
あまりにも寂しくて泣いたりもしたけど、今でも彼女が歌って踊る姿を願ったりもしたけど。

「卒業」という文字は、その中で必要な過程をすべて完了し終えなければ迎えられないものなので、きっとねむきゅんは、“アイドル”を“修了”したのだ。

新たなステージに行くためには、必要なイニシエーションなのだ。

そう言い聞かせているうちに、いつしか彼女の幸せを純粋に願えるようになった。



この世界の中で、夢眠ねむは今日も生きている。
もうミントグリーンのペンライトは振らない。
今までありがとう。
これからは、新たな人生を歩み始めた新しい夢眠ねむを応援していこうと思います。


彼女は今、東京のどこかで本屋の店主をしているらしい。
もっと応援したかったな。
もっと名前を呼べばよかったな。
そんな後悔はきっとずっと残るだろう。

しかし、“ねむきゅん”がいなくなり、永遠のアイドルという存在は幻想だと思うようにしていた私の前には今、「ファンがいる限り辞めない」と豪語する、とんでもないアイドルが立っている。

最近、彼のその言葉を噛み締めながら、思う。
彼が自分自身の他の側面を伸ばしたく、“アイドル”を“卒業”する日が来たとき、私は彼のいないグループを愛していけるだろうか。グループを抜けた彼をまっすぐに愛せるだろうか。
数日間考えながら、今このブログを書いている。



私は今、夢眠書店の店主のことが好きだ。
優しいけど優しいだけではない本のラインナップや、コンセプトの確立されたスタイル。
彼女の優しさと格好良さが本屋に染み渡っていると思った。


そして、でんぱ組.incのことも大好きだ。
今は箱推しとして、時々イベントに行ったりする程度のファンになってしまったが、今でもでんぱ組.incの曲が大好き。

新曲『形而上学的、魔法』の最後には、こんな歌詞がある。


「どんなに形が変わってもひとりきりになっても、わたしがわたしのために見つけたいの。生かして私でいたかった、ずっと。」


どんなに形が変わっても、彼女は彼女、彼は彼、グループはグループ。
私達の見方だけが変わっていくだけなのだ。

まっすぐに愛することは、その人たち自身の本質が変わっていないことを理解することなのかもしれない。



と、そんなことを書きつつ、私もまだ口先だけになっているような気がしなくもない。

正直まだ少し立ち直れていない部分がある。
思い出すたびに泣いてしまう。

でも、いつかちゃんと胸を張って「彼女のことも、グループのこともそれぞれをまっすぐ見れるよ!」と言えるようになる日を来させようと思っている。

いろんなものを見て、いろんなことを考えて、人として成長して、オタクとしてこれからも生きていこう。



関ジャニ∞ファンの方が見てくださっている割合が多い中、長々と違うアイドルの話をしてしまい、すみません。

いつか関ジャニ∞でんぱ組.incと関ジャムでセッションしてくれる未来が来ることを願って。



拙文失礼しました。
また。

『一秒KISS』実現性を考える

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『一秒KISS』は最強最高全曲バチイケの伝説のアルバム、『PUZZLE』に収録された“裏雨ソング(※1)”である。

この歌の一人称である男は、何故かデートで雨、できれば土砂降りを願う。

その理由はただ一つ、「キスがしたい」。



今回は、ちょっと思考回路が独特なこの男が編み出した、「一秒KISS」について考えてみたい。





歌詞によると「一秒KISS」とは、まばたきよりも早く、“君”に気づかれないように行うキスを指す。


しかしこのキスには矛盾点がある。
まばたきの速度である。

人のまばたきには、

周期性まばたき(生理的な無意識のまばたき)
反射性まばたき(光などの刺激によって引き起こされるまばたき)
随意性まばたき(意識的にするまばたき)

があり、
「気づかない」とあるため、“君”が行ったまばたきは周期性まばたきであると推察される。

この周期性まばたきの速度は平均で100-150ミリ秒であるとされている。

1000ミリ秒=1秒
であるため、周期性まばたきは約0.1秒に1度行われていることになる。



では、まばたきよりも早くキスするためには、男はどれほどの速度でキスをしなくてはいけないのか。

ネットで調べてみところ、
男女のキスがしやすい身長差は12センチ
だということで、男と“君”の身長差は12センチと仮定する。
また、マイナビウーマンのアンケート結果によると、
男女のキスに発展しやすい顔面の距離は約10センチ
であるという意見が多かったため、男と“君”の距離は10センチと仮定する。


キスしやすい身長差12センチメートル(高さ)
キスに発展しやすい距離10センチメートル以下(底辺)
の直角三角形であるとすると、
男と“君”までの唇の距離が斜辺となる。


【斜辺の求め方】※^2を「2乗」として扱う。
(底辺^2)+(高さ^2)=(斜辺^2)
10^2+12^2=x^2
x^2=244
x=15.62049(四捨五入して15.62とする)


また男は“君”にキスを顔を元の位置に戻して気づかれないようにする必要があるため、この斜辺を1往復する。

往復距離31.24センチメートル=0.0003124キロメートル



∴0.0003124×36000=11.2464

つまり、男は最低でも時速11.2464km以上の速さでで“君”にキスをしなければ、まばたきよりも早くキスをしたことにはならないということになる。
(ちなみにこの速度は秒速に換算すると3.124m/sである。)





しかし、まばたきよりも早くキスができたところで、それはただの「0.1秒KISS」であって、「一秒KISS」ではない。

では、次はこの「0.1秒KISS」を「一秒KISS」にするための方法について考えたい。




「ストロボ効果」という言葉を聞いたことはあるだろうか。

ストロボ効果とは、時間折り返し雑音と呼ばれる視覚現象の一つである。
ストロボ効果は日常の様々な場所で体験することができる。

最も身近なもので言えば、「映像」である。

映像は元々膨大な数の画像を繋ぎ合わせて一つの動画に見せるものであり、いわば高速のパラパラ漫画である。
そして、その映すメディアによって一秒の映像に必要な画像の枚数は異なってくる。(これをフレームレートと呼び、1秒に必要な枚数はfpsという単位で表される。)

たとえば映画館。スクリーンに流れる映像の1秒間には24コマの画像が流れている。(24fps)

さらにテレビでは1秒間に30コマの画像が使用され、映像を作っている。(30fps)


人にとっての目視から脳への伝達・理解までのスピードを超えた速度で情報を与え続けることで、ストロボ効果は実現されている。



つまり、“君”または神視点にとって、男が“君”にキスをしている時間が一秒に感じるためには、最低でも24fps必要となるため、男は「まばたきよりも早いキス」をおよそ一秒内に24回連続して行う必要がある。

その速度については、まばたきよりも早くするキスの速度を求めた際の秒速のキスの速さを24倍することで求まるので、

3.124m/s×24回=74.976m/s

時速に換算すると
269.91360000000003km/h(四捨五入して269.9136km/h)



この速さは新幹線のぞみの最高速度に匹敵する。





また、この視覚現象の利用に加えて、歌詞より読み取れる男のこだわりから、もう一つ触れておきたい視覚現象がある。

それは「グレア現象」である。
雨の日の夜、車を運転している際に、対向車のヘッドライトが乱反射し、目の前の歩行者が消えて見えてしまうという現象を指し、その眼球への影響は、長くて3秒ほど回復の時間を要する。

男は恐らくこの現象を利用して、自身の姿を“君”から見えにくくするために雨の夜というタイミングを狙っている可能性が高い。





以上のことより、
『一秒KISS』という歌の歌詞よりまとめると、男の考案した「一秒KISS」は、

①雨天の夜間
②強烈なライトが自身の後ろから発生する位置に立ち
③身長差12cmの“君”に対して
④正面から10cm離れた距離から
⑤新幹線のぞみと同等の速さ(269.9136km/h)で
⑥24回連続してキスをする

ことで実現可能であることが分かった。





しかし、これはかなり難易度が高い。

まず人間から新幹線に転身するとともに、雨天の視界の悪いときに走行中の車の前に立たなければいけない。

そして何よりも、新幹線のような速さで人体にぶつかると、確実に人は死んでしまう。
とても危険である。

これではキスを実行できたとしてもおやすみのキスよりも先に、二人ともこの世からバイバイしてしまう。

誰かこの男にこのキスの困難さを伝えて、まず彼女にちゃんと告白してからキスをすることのほうが安全であることを教えてあげてほしい。



そして計算は算数すら苦手な文系ジャニオタの机上の空論であるため、どうかご容赦いただきたい。





あと、ここまで読んでくださった方たち、よかったら『一秒KISS』を聴くたび、男がキツツキよろしく新幹線のような速さで女の子にキスをしている姿を思い出して、ゾッとしてください。
夏なので。




※1「裏雨ソング」
019年6月16日にテレビ朝日より放送された「関ジャム完全燃SHOW」の特集「梅雨時に聴きたい!雨ソング ベスト10」で紹介れた、タイトルや歌詞全体に“雨”というワードが頻出しないが、“雨”という設定の元歌われている楽曲。

なぜ丸山隆平という存在に惹かれるのか~アイドルという川のほとりにて~

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今週のお題「アイドルをつづる」

 

私は今、人生初めての「ジャニオタ」という時間を過ごしている。

 

実は恥ずかしながら、学生時代ずっと全てにおいてとがり散らしてしまっていたため、親も友人も先輩も後輩も愛犬も、みんな驚いている。「どうしちゃったの」なんてよく言われていて。

どうしちゃったのかなあ、と思いながらも、ぼんやりと壁に貼られたポスターを眺めている。

 

読んでくださっている方はご存知かもしれませんが、私は関ジャニ∞、特にオレンジ色の太陽担当・丸山隆平さんのオタクです。

 

なので今回は、なぜ丸山隆平という存在に惹かれるのか~アイドルという川のほとりにて~という心の新書を刊行したいと思います。




「アイドル(英)」は日本語で「偶像」と訳され、以下の3つの意味がある。(大辞泉より)

①木・石・土・金属などで作った像。

②神仏をかたどった、信仰の対象となる像。

③憧れや崇拝の対象となるもの。

 

つまり、私たちオタクにとってのアイドルとは、③の意味に該当する。

ちなみに「崇拝」とは、「心から傾倒して、敬い尊ぶこと。」とされており、アイドルオタクにとっての偶像崇拝」とは、「アイドルを尊敬し、感服し憧れること。」ということになる。



次に、「アイドル」の語源について考えたい。

「アイドル」の語源はラテン語「イドラ(idola)」とされている。

 

「イドラ」とは、「偶像」、「幻影」という意味がある。

それに加えて、人間の先入的謬見(偏見などから穿った、誤った見方をしてしまうこと)を帰納法を用いて説いたものともされている。

 

またイドラについて、フランシス・ベーコン(イギリスの哲学者)は、

「世の中には、人にとっての正しい思考を妨げる四つのイドラが存在する。」

と唱えている。

 

〈四つのイドラ〉

種族のイドラ・・・人が生まれながらに持ってしまう、生理的な偏見・先入観。

洞窟のイドラ・・・個人的な経験から発生し、自分の物差しで見る偏見・先入観。

市場のイドラ・・・他人の言葉や噂に騙されたり惑わされたりして生じる偏見・先入観。

劇場のイドラ・・・伝統や権威ある学説やイメージを絶対的なものだと信じ切ってしまうことから生じる偏見・先入観。

 

つまり私なりに解釈すると、アイドルとは「劇場のイドラ」によって発生する需要が存在する前提で成り立つ市場ということになる。

 

たしかにアイドルは男性、女性問わず【イメージ】を前提に存在している気がする。

それを守ろうとするアイドル。例を挙げるならAKB48の『まゆゆ

それを打ち砕こうとするアイドル。例えば、関ジャニ∞の『ヤス』

 

まさに今、アイドルたちはそれぞれの【イメージ】を理解しながら、セルフプロデュースしていく時代に突入しているのだろうか。

 

守ることと、打ち壊していくこと。

アイドルが見せてくれるその、シンパイドラ(アイドルらしい部分)アンチイドラ(アイドルらしからぬ部分)

それが私たちを魅了してやまない最も大きな要因の一つなのかもしれない。




そして、イドラという源流は時代を経て、枝分かれし、様々なスタイルのアイドルたちという支流を生み出してきた。

ジャニーズも例外ではない。

少年隊近藤真彦など、爽やかで笑顔がキラキラした少年・または青年が歌って踊るアイドルという姿から、SMAPなど、バラエティでも活躍し、歌って踊るだけではない、魅力をアピールする機会が多くなっていく。

またTOKIOのように楽器を演奏するジャニーズも誕生し、まさにグループ、個々が各々【オリジナル】という船頭を担うようになった。




関ジャニ∞も、全員が関西人、ちょっと柄が悪く、ちょっと口も悪い、演歌でデビューする、まさに【オリジナル】の宝庫である。(オタクの贔屓目)

 

その中で、黄金の自担、太陽担当・丸山隆平さんの魅力とは何か。

思い返せば、彼はシンパイドラ、アンチイドラ、どちらも同じように内蔵し、どちらも彼らしい魅力として見せてくれる。

彼の、不器用ながらも天才的なセルフプロデュース力に圧倒的アイドル性を感じているからなのかもしれない。

 

そこで、私なりに、丸山さんのシンパイドラとアンチイドラについて、思いつく限り、書き出してみた。

 

【丸山さんのシンパイドラ】

・いつも笑顔。

・ファンサをたくさんしてくれる。

・『丸の大切な日』(※丸山さんが10年間毎日更新しているファン限定ブログ)を更新している。

 しかも日記のことを「メール」と呼び、ファンを「君」と呼ぶ。

・食事シーンは全力で臨む。

・メンバーと仲良し。

・メンバーにオリジナルのあだ名をつけて呼ぶ。

 しかも「ゆーちん」については、かつてのライブで「呼んでほしい」と言っていたことを 守っているのかもしれない…。

・イメージカラーのオレンジ色のものを好む。

・鮭好きキャラを貫こうとする。

・熱愛報道があまり出ない。

 

【丸山さんのアンチイドラ】

・『ありえへん∞世界』のワイプ

 髭を抜こうとしたり、耳に指を入れたりする。

 驚くシーンや感動するシーン、ほっこりするシーンが流れても無表情。

・家に人を呼び食事を振る舞うくせに「家で友達誘ってたこ焼きパーティとかしたくない」と発言。

・勢いのあるギャグに全力投球。

・の割に、言葉選びがシュールなボケもする。

・ホラー映画を好んで観る。

・車の運転ができない。

・パソコンが扱えない。

エゴサーチをしてファンの声をチェックする。

・少しアイドル体型から逸れている。

ポリネシアン(陰湿で執念深い)な部分がある(らしい)。

 (ホンマでっか!?TVの借金メールより)

・私服がダサい(らしい)(世論)。




他にも細かく上げればキリがないほど、こういったエピソードなどがある。

つまり、丸山さんは「アイドルらしさ」「らしくなさ」を大量に兼ね備えた、魅力的な【オリジナル】であるということなのだ。




人は誰しも人に見せる一面だけではないはずだ。私たちも例外ではない。

Twitterのアカウントの自分。

学校や職場での自分。

友達や恋人、家族の前での自分。

アイドルを見つめている自分。

 

きっと全て違う姿だろう。

それらは「見せたい自分」「見せなきゃいけない自分」「見せたくない自分」、いろいろあるはず。

しかし、一面だけではつまらない。

良い面だけでも、悪い面だけでも、きっとつまらない。たくさんの「面」があるほど面白い人になれる可能性が高まる。

きっと、それを上手くコントロールして、人は魅力的になっていくのだと思う。

 

アイドルとは、きっと顔が綺麗なだけでなく、スタイルがいいだけでも、歌やダンスが上手いだけでもないのかもしれない。

きっと「自分」のコントロールと演じ方を常に考えている人たちにとっての天職が、アイドルなのだ。

 

彼らはこれからも私たちの【イメージ】という壁の前に立ち続けるだろう。

その壁に寄り添い、私たちの【イメージ】を裏切らない「自分」という一面を見せてくれる。

その一方で、その壁を殴り壊し、【イメージ】のその先の「自分」を自ら作り出してくれるかもしれない。

 

だから、アイドルはこんなにも魅力的なのだろう。

ファンとともに、変わりゆく部分。しかし、決して変わらない部分。

私たちはそれを眺めることのできる、素敵な時代に生まれてこれたのだ。

 

そんなことを、丸山さんのアイドル姿から学んだ気がしています。

今までもこれからも魅力的な彼らの背中を見つめながら、私たちは、もっともっと学んでいきたい。

さまざまな「自分」の見つけ方、少しだけも上手な生き方を。




ここまでブログを読んでくださったみんなも。

よかったら、自分の担当についての愛を、私に教えてください。

みんなの「好き」が聞きたいよ~!

『月曜から御めかし』錦戸亮から名作を計算する

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この曲はシングル『Crystal』カップリング曲で、錦戸亮さんが作詞を担当したアップテンポナンバーである。
「月曜日なんて来ないでほしい…!」と鬱々してしまう社会人への共感・励ましの歌詞。
それに混ざる、錦戸さんのオシャレな着眼点と言葉遊びがさく裂しており、本当に何曜日に聴いたって最高中オブ最高。
錦戸さんの作詞は、もはや「作詞」ではなく「作詩」って感じで、歌詞カードを見るだけでニコニコ。

 

特に私が気になるフレーズは以下の部分である。

 

「グルグル回るループに潜んでる、神様からの粋なサプライズ。早くしなくちゃもうすぐバターになっちゃいそう。」

 

この歌詞、不思議だと思いませんか?
急にバターになりそうになってるの!?亮ちゃん大丈夫!?

(元ネタが分かる方は懐かしんでいただけたら、と思います。)

 

 

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ちびくろサンボ

1988年、イギリスで発売されたちびくろサンボをご存知だろうか。

かつて世界中で人気となり、そして人種差別問題により長い間姿を消していた絵本である。
この絵本は、作者ヘンリー・バンナーマンがインドに滞在中、自身の子供のために描いたもので、
インドの少年・サンボが4匹のトラと出会い、身ぐるみ全部剥がされるけど、何だかんだあって服などが全部戻ってきて、何なら美味しいパンケーキを169枚も食べたよ、という物語だったのだが、アメリカなどでは、その風貌からインド人ではなく黒人ということになり、その黒人が著しく黒く、身ぐるみ全部剥がされる描写から“人種差別”と判断され、販売が中止となってしまったのだ。

何故唐突にこの絵本の話を始めたかというと、この絵本に出てくるトラが、上記の歌詞の一部の下敷きになっているからである。


ちびくろサンボ』に登場する4匹のトラはプライドが高く、それぞれが、自分がジャングルの王であると信じており、その言い争いの末、互いを追いかけ、木の周りをグルグルと回る。
そのスピードはどんどん速くなり、仕舞いにはその遠心力により、肉体が分離し、トラたちは“極上のバター”へと姿を変えてしまう。

 

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バターになる寸前のトラたち

 

ちなみに、実際バターは、生クリームをグルグル回して作ることが可能である。

【手作りバターの作り方】
①生クリームを空のペットボトルへ注ぐ。
②高速で約2分間振り続ける。
③いつの間にかできた白い塊の水気を切り、完成。
 (その水は薄い牛乳のようなものなので、栄養が含まれているので、飲んでみてください。)


そこで、トラは実際どれほど回ってバターになってしまったのか。
少しだけ考えてみたい。

インドに生息するトラは、ベンガルトラが主であり、彼ら足の速さは時速50~60km
また絵本の中で注釈によって明らかになるのだが、トラたちが回っていた木はヤシの木であることが分かった。
インドのジャングルに多く生えているヤシの木はココヤシという種類らしく、木の幹の太さは、約40cmと言われている。
加えて、上記のバターの作り方を参考にし、約2分間回転していたと仮定する。

時速60km=分速1km
トラがバターになるまでの総走行距離=1km×2分=2km
2km=200,000cm
200,000cm÷40cm=5,000回転

以上のことより、トラは時速60kmでおよそ5,000回木の周りを回ることでバターになったと推測される。

 

またさらにこの結果から、「グルグル回るループ」から錦戸亮ちゃんがバターになってしまうリミットを計算したい。

1回転を人間の生活時間において、1日と仮定すると、
5,000回転÷365日=13年255日

 

つまり、錦戸亮ちゃんはある時点Aから13年255日経ったある時点Bでバターになってしまう。

 

この2つの「ある時点」はどこか。

まずはバターになってしまう可能性のある時点Bについて考える。

1番で横山くんが歌う「婚期に逃げられ、家事だってプロ級」という歌詞。
実際男性の婚期は何歳を指すのか。
2015年の厚生労働省の「人口動態統計」によると、男性の平均初婚年齢は31.1歳といわれている。
確かに関ジャニ∞はメンバー全員が婚期に逃げられている。
しかし、これは一般的に、社会的地位や収入も考慮しての結婚の場合である。
生物学的に言われている男性の結婚適齢期の限界は 35歳 と言われている。
これは、男性はその時点をピークとして、精子が老化を始め、女性が妊娠しにくくなることからきている話。

そこで本当の婚期の限界を超えた日を、バターになってしまうタイミングと考えてみたら、錦戸亮ちゃんがバターになる日は35歳の誕生日

いや、今年!!!!!!!!

ということで、2019年5月13日現在から計算すると、あと175日で、錦戸亮ちゃんはバターになってしまう…。


また35歳の誕生日から逆算して、錦戸亮がバターになる日の13年255日前は、2006年2月24日であることが分かった。
この日錦戸亮ちゃんは、帝国劇場で行われた舞台『Endless SHOCK』に出演していたらしい。
もしかして、この日から錦戸亮ちゃんは、トラになってしまった…!?

いや、もう何の計算してるのかわからない…バターになるわけないのにね。
アホすぎるので、彼がバターにならないように祈りながら、冷やし中華をすすりたいと思います。

 


錦戸亮の作詞は素晴らしい。
格好良いものが大好きな彼は、格好良い歌詞を書く。
しかし、そのひととなりは言葉にも表れる。
可愛く、おしゃれな言葉選び。
まさしく絵本のように、「人をワクワクさせるストーリー」と「芯の通った伝えたいメッセージ性」がある。
これからも彼の作った曲にワクワクしたいな~!これからもよろしくね!

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『北齋漫畫』横山くんが演じる「葛飾北斎」とは

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冨嶽三十六景

『北齋漫畫』に当選された方、おめでとうございます!
行きたかった~!けど、横山さんを愛してやまない横山担の方々が当選しているので、元祖丸山担の私は一般のテレコ頑張ります!

みなさんが、より舞台を楽しめるように、横山さんが演じる「葛飾北斎」を、私なりにまとめてみたのでお暇な時にでも。

(展覧会や映画、画集の解説から得た知識なので、浅々かつ誤認があったらすみません!)

 

 

葛飾北斎という男。

葛飾北斎は、江戸時代(文化文政時代)に数多くの名画を生み出した、天才浮世絵師で、父は当時活躍していた鏡師・中島伊勢
「立派な彫師になるから、出て行かせてくれ!」と意気込んだものの努力が見受けられない息子・北斎の駄目っぷりにブチ切れ、北斎を勘当するという、厳格な父であった。
しかしその親譲り(身勝手な母親に捨てられた捨て子で伊勢とは本当の親子ではないという説もある)の破天荒ぶりは、娘をはじめ、周りの人を良い意味でも悪い意味でも振り回していたという。
面倒臭がりで、礼儀正しいものや一般常識、通念上のタブーが嫌いだった北斎は、あえてそれを破ることが多かった。
例えば、3食すべて他人のお金で出前を頼み、その器をため込んだり。
お金持ちになった時期ですら、風俗などでの遊ぶ金欲しさに友人らからお金を借りていたり(基本返済しない)。
しかし、当然借りたお金は返すことになるし、「そんな借金野郎には貸してやらん!」となってしまう人も多くいたため、北斎は自分の名前(画号)すら売っていたとも言われている。
実は彼は様々な理由(破門、気分(引っ越し癖)、借金)により、18歳ほどから死ぬまでになんと30回以上改名をしているのだ。


そんな経歴の中でとりわけ世間から注目されていた主な時代は、5つ

 

①「春朗」期

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昔話桃太郎発端説話



彫師としてデビューしていた頃。
勝川春章の元に弟子入りし、仕事は主に風俗画や小さな本の挿絵や役者絵写楽などで有名な絵の種類)。
師匠の勝川先生が亡くなってすぐに翻すように他の先生のところに弟子入りし、破門され、名乗ることができなくなる。

 

②「宗理」期

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狂歌歳旦江戸紫



あの俵屋宗達(江戸時代初期・風神雷神図屏風の人)が大元で派生した俵屋に入った北斎は、俵屋宗理先生に弟子入りし、琳派を本格的に学ぶ。
これにより、人物画が主だった彼の作品観中に壮大なデザイン構築力が培われた時代となる。

 

③「北斎」期

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北斎漫画

葛飾北斎として有名になった頃、彼の仕事仲間といえば、東海道中膝栗毛弥次喜多)』十返舎一九や、里見八犬伝曲亭馬琴(馬琴の家には長く居候もしていららしい)らという超売れっ子作家たち。
彼らの書く小説の挿絵も任されていた北斎は、彫師の域を超えた様々な仕事を始めるようになる。
米粒にリアルなスズメを描いたり、地面にとてつもなくでかい絵を描くなどの曲芸ですら、町中の人気をかっさらう。
彼にとって、何をしても褒められ、お金がたくさんあった時代。
北斎はついに、自分の実力を世間に認められ、皆が北斎のその繊細な絵の描き方に魅了され、まさに北斎天下」の時代だ。

ちなみに今回の舞台のタイトルにもなっている、彼が出版した北斎漫画』は、動物や植物、人の表情や動きなど、カテゴリーごとに分けられ、シリーズ化されていたイラスト集である。
一つ一つのページにびっしり、さまざまなモノが緻密かつ親しみやすいデフォルメで描かれていて、まるで図鑑のような情報量でした。(展覧会で見た感想)
北斎の観察眼と再現力の高さは、ヨーロッパ絵画の世界にも大きく影響を与えているという。

しかし、人気を得る一方で、商業的な仕事ばかりをこなす感覚がこべりつき、芸術家としての感覚を遠くに感じるようになっていたことに恐怖を感じたのか、彼は突然その「北斎」という名も人気も捨て、
画材道具だけを持って旅に出たのだ。

 

④「為一」期

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神奈川沖浪裏

北斎の代名詞、『冨嶽三十六景』は、実はこの「為一」と名乗っていた時期に誕生した。
旅を通して、様々な土地から眺めた富士山という不動の存在に魅了された北斎は、富士山と、人々の生活、そして雄大な風景を次々に描いていった。
その中でも代表的な『神奈川沖浪裏』は、その複雑かつ大胆な波と背景のグラデーションなどを表現するために、何度も何度も重ねて摺る必要があり、さらにこだわりの強い北斎の注文も多かったため、出版社泣かせと呼ばれている。
ちなみに泣かされていた本屋というのが「蔦屋」という書房で、今の「TSUTAYA」であるという噂も。
TSUTAYAってそんな昔からあるのか…時代は続いていくものなのね。

 

⑤「画狂老人卍」期

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蛸と海女

葛飾北斎の時代から、北斎は自らを「画狂人」と名乗る、中二病のような男だった。
そんな中二病彫師はそのままこじらせ、ついには「画狂老人卍」へとパワーアップ。その頃になると、もう80歳超えのおじいちゃんなわけで。
葛飾北斎ってあれっしょ~?有名な絵の人っしょ~?マジ卍(笑)」みたいな若者からは、まさかこの汚いおじいちゃんがその葛飾北斎だとは気づかれず、
だいぶ寂れた画狂人生を送っていた。
しかし、心の中は昔の破天荒彫師のままであるため、北斎は、死ぬ寸前まで、学びに学びを重ね、自分を「終わった人」ではなく「始まってすらいない人」であると信じていた。
そして狂いに狂った北斎は、五年ほどの長く壮大なシリーズの計画を立てながら、この世を去った。

 


北斎が活躍した文化文政時代とは、江戸の後期、天保などの時代を指し、幕府の力があまりにも無慈悲に強まり、そして衰退を始める時代でもあった。
そんな時代に誕生したのが、 化政文化 である。
化政文化は、江戸の町人らの生活風景などを描いた「町人文化」のひとつであり、北斎もその文化を作った最も有名な表現者の一人である。
この頃は主に、
滑稽本(江戸時代のコメディ小説のようなもの。その内容は現代の落語にも強く影響を与えている)
春画(江戸時代のエロ本)
浮世絵(人々の生活や風景を描いたもの。江戸時代当時の”現代アート”)
などが流行っていた。出版(この頃はまだ活版(機械印刷)ではなく、手摺りの時代)が栄えた時代でもある。

 


あまり書きすぎるとごっちゃごちゃしてしまうので、簡単にまとめてしまいましたが、少しでも葛飾北斎について触れていただけたら幸いです。
横山さんの悠久の美貌で、若い頃の北斎から晩年の北斎まで、演じぬけるのは、あまりにも圧巻…。


破天荒で、繊細で、自分の才能を追求し続ける姿は、北斎と横山さん、どちらの為人にも当てはまる素敵なところですね。


横山さん、体に気を付けて、楽しい公演期間をお過ごしください!!!!!!!私も行きたい!!!!!!(煩悩のかたまり)

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北斎漫画

 

『Fight for the Eight』PVを読み解く

f:id:yoshida-ttkm10:20190411200848j:plain『Fight for the Eight』は、アルバム『FIGHT』に収録された、妖艶なPVと、コンサート『関ジャニ∞五大ドームツアー EIGHT×EIGHTER おもんなかったらドームすいません』での演出の斬新さで有名なダンスナンバーである。



今回はあの独特なPVについて、うるさく語ってみたい気分。
「どうしてあんな雰囲気のPVになったの……?」
そのために、まずは歌詞について触れたい。

作詞作曲を担当する葉山拓亮さんは、
関ジャニ∞『蒼写真』『北風ブルース』
横山裕トリックスター
など、世界観が際立つナンバーの提供をしている音楽家だ。

ご本人が歌われる楽曲をこの機会に聴いてみた。
あまり言い方が相応しくはないが、この方、「旅に出がち」である。



閑話休題
さっそく今回の歌詞のとある部分について掘り下げてみたい。

今回キーワードになる言葉は、実は「カサノバ」であると私は、考えている。


カサノバ」とは、18世紀に、彼自身の生涯の遍歴によりその名を広めた作家であるジャコモ・カサノヴァ(以下カサノヴァ)という男のことを指す。
彼はヴェネツィアで、俳優と女優の間に生まれたとされている。(別の男との婚外子であるという説もある)

当時のヨーロッパでは主流となっていた寄宿学校へ入学したカサノヴァは、そこで出会う女性と初めて性交渉を行い、オーガズムを知る。
当時11歳だったカサノヴァにとってその経験は、その強い探求心に火をつける着火材となったのだ。

その後カサノヴァは聖職者として働き始めるが、その風貌から尊敬と軽蔑の目を同時に浴びていたという。
当時の彼の姿は、長身で浅黒い肌に、カールさせた髪型、そして常に妖艶な香水を身に付けていたらしい。
その風貌や大胆さからカサノヴァは、社交界に飛び込むやいなや、多くの女性と関係を持つことになる。

しかしある日、少女を強姦した罪に問われ(冤罪であることが後に分かる)、カサノヴァは地元ヴェネツィアから逃げ、ヨーロッパ各地を転々と旅して回ったという。

その旅で出会った数多くの女性と関係を持つカサノヴァは、恋愛感情よりも性への関心が強く、その生涯で抱いた女性の数は1,000人を超えるとも言われている。

そして数年後、冤罪のほとぼりが冷めた頃にヴェネツィアへ帰郷したカサノヴァは、再びスキャンダルで監獄に入れられてしまう。
それは、当時恋人として付き合っていた女性の父親がその交際に反対し、カサノヴァをフリーメイソン(キリスト教から多く批判されている神秘主義の友愛結社)との関係を持つ者であると密告したことによるものだった。
彼が本当にフリーメイソンと関係があったかは定かではないが、当時のカサノヴァは魔法や妖術に強い関心を持っており、それと同時に女装や同性との性交渉を生涯を通して行っていたことが、フリーメイソンの理念に近しい部分があると推測されたことが要因であると考えられている。



以上のことより、ジャコモ・カサノヴァの生涯は、今回の曲の歌詞全体、及びPVからも汲み取れる部分が多くあるのではないだろうか、と考察した。



PVでは、衣装は男性らしくあるが、メンバー全員が男性と女性の間の存在になるようなメイクをしており、カサノヴァの女装愛や同性愛を彷彿とさせる。

また、中に出てくる水着姿で動物のマスクを被った女性たちも、彼の生涯の女性関係と結びつけられるのではないだろうか。



そして、このPVには、その女性たちと関ジャニ∞のメンバー以外にも、もう一人登場する者がいる。

それは、ピエロだ。
なぜこのPVにピエロが登場するのか。

元々、サーカスの存在しない中世ヨーロッパにおけるピエロとは、貴族に呼ばれおどけてその場の空気を変える職業を指す。それはギャンブルなどの賭場で多く活躍し、その転々と放浪する様から“自由人”、“逃亡者”、はたまた“悪魔”と呼ばれていたともいう。

この歴史を踏まえて、ピエロの存在の必要性は「その場に影響を与える、旅人」という明るいものなのかも知れない。



今回は『Fight for the Eight』のPVについて触れました。
すんごい好きなのです。
クールでセクシーでミステリアスなのにコメディ要素もあって、まさに“関ジャニ∞の雰囲気”を映像化したものだなぁ、と感じているんです。

いつか、『関ジャニ∞五大ドームツアー EIGHT×EIGHTER おもんなかったらドームすいません』の演出についても話したいな。
とても楽しいですよね。
あのコンサートなら『夜な夜な☆ヨーNIGHT』も好きです。
お酒が進む一曲。


また。

『象』皮肉のない褒め言葉

f:id:yoshida-ttkm10:20190216085548j:plain『象』

私が関ジャニ∞に興味を持つきっかけになった一つは、この曲である。

そもそも、私には関ジャニ∞という沼に足を引きずり込まれるような、そんな衝撃的な出会いは一切ない。
一歩一歩、自分でゆっくりと入水自殺のごとく踏み込んでいったのだ。

閑話休題
そのきっかけの一つとなる『象』とは、シンガーソングライター・高橋優が楽曲提供をした、関ジャニ∞のロックナンバーである。

幅広く邦楽に触れてみたいと思い立った日があった。
その日私は、星野源尾崎豊フジファブリックなど、様々な歌手のアルバムを1枚ずつ選んでいた。
レンタルショップの、「5枚で1,000円」という謳い文句に則り、4枚はすでに選んだものの、あと1枚を決めあぐねていたのだ。
そしてその1枚を探している中でたまたま通りかかったのが、『GR8EST発売記念・関ジャニ∞コーナー』である。

ジャニーズにハマることなんて一度もなかったからなぁ、と半分社会経験の気持ちで、さっそく彼らのアルバムを物色。
(何曲か知ってるのが入っているものにしとこう…)
そして、その日、私は『関ジャニズム』というアルバムを借りた。

さっそく帰宅して、音楽プレイヤーに曲を入れる。
そこからはとてもシンプルな歩みで、私はまんまと『象』という曲を好きになった。



それまでの関ジャニ∞に対するイメージは、『好きやねん、大阪』、『TAKOYAKI in my heart』などの大阪らしいコテコテソングか、『ズッコケ男道』、『なぐりガキBEAT』、『がむしゃら行進曲』など、キャッチーな応援ソング、というものであった。

しかし、この『象』は恥ずかし気の欠片もなく、清々しいまでに自信と希望に満ちた、キャッチーとは程遠い、見事なまでのロックな応援ソングだったのだ。

とりわけ私の心を掴んだのは、
「これからもどんどん君が素晴らしくなる」
という歌詞だ。
「素晴らしい」というワードを率直な意味として使うロックナンバーは、実はなかなか無い。
何故なら、人は人(個人)を「素晴らしい」と褒めないからだ。


ここで、「素晴らしい」の本当の意味を改めて考えたい。
大辞林によると、「素晴らしい」には三つの意味がある。
・この上なく優れている。際立って立派だ。極めて好ましい。

・程度が甚だしい。驚くほどだ。

・ひどく望ましくない。(近世江戸語)

ロックバンドやシンガーソングライターは、「素晴らしい」という言葉を用いる際、多くはこの三つ目の意味を皮肉、はたまた一つ目の意味の困難さを嘆いている場合が多い。


抜粋になってしまうが、「素晴らしい」というワードの入る楽曲の歌詞を、いくつか例として挙げたい。
(本人たちの伝えたい部分が抜け落ちている可能性があるため、なるべく歌詞全体にも目を通していただきたい)

『素晴らしきこの世界』忌野清志郎
飢えた子供の目つきは鋭く、偽善者と呼ばれて自殺する男たち
素晴らしきこの世界

『素晴らしい世界』SUPER BEAVER
素晴らしい世界だと澱みなく言えたら素晴らしい

『素晴らしい』竜清人
当然のように素晴らしいと軽々しく言わないで
言うたび素晴らしくないものが出来ちゃうよ

多くの人が歌ったように「素晴らしい」とは、「世界」などの壮大な対象と結びつき、さらにその実現の困難さが秘められているのだ。

それに対し、関ジャニ∞の『象』は、その歌詞の後に
「案外どんな場所にだって行けるよ」
と続けている。

「素晴らしい」という言葉を個人に対して使い、なおかつ更に背中を押すための具体例を挙げているのだ。
なかなかここまでまっすぐな歌詞に出会ったことのない私にとっては、衝撃的だった。

これは、高橋優が音楽と世界に向き合い、絶望と希望に出会い、関ジャニ∞と出会い、作り上げた、世界観の結晶なのだろうか。

そして、もう一つ、この『象』で私の心を掴んだもの、それはバンド演奏だ。
CDで音だけ聴いていた私は、激しいサウンドや高い技術性から
「本人たちはバンドもやっているらしいが、流石にこの曲は演奏しないだろう」
と失礼ながら、考えてしまっていた。
ところが、インターネットで検索してみると、本人たちが演奏する写真を発見。
「すごいな……」
まさに、その一言だった。
あまりにもどのような演奏をするのか気になり、さっそく某通販サイトで『KANJANI'S EIGHTERTAINMENT JAM』というコンサートのDVDを購入。
お目当ての『象』を選び、私は絶句してしまう。
炊き上がるスモークの奥から覗く鋭い目、激しい光の中で汗をかきながら叫ぶように歌うその姿は、あまりにも美しく、私は涙を堪えられなかった。
鼓膜の奥でゴポゴポと、沼に足を浸したような音が聞こえる。
そして、
「孤独はコンプレックスのせいじゃない」
と歌い上げる渋谷すばるの横で、あのCDのスラップを再現する、ベーシスト・丸山隆平の姿に、私は軽く殴られたような、そんな衝撃を受けた。

私が幼い頃に観ていたバラエティ番組に出演する彼は、ギャグを披露し、珍妙な動きと意見を述べる、所謂三枚目だった。
しかしそれは彼のほんの一面に過ぎず、そのすぐ隣にはこんな格好良い一面があったのだ。

その瞬間、私は完全に沼のコケに足を滑らせてしまい、頭の先まで沼に沈んでしまったのだと、その時実感した。






今回は『象』について、今まで思っていたこと、あのときの感動を徒然と書き殴りましたが、こうして、彼らの作品について、マイペースに書いていけたらいいなぁ、とカップ焼きそばを啜りながら考えております。

カップ焼きそばは、何がなんでも割り箸で食べたい。

誰にも共感されないのですが、みなさんは割り箸派ですか?どっちゃでもええ派ですか?


また。